現代はコミュニケーションの時代と言われています
世界中の人や身近な人と簡単にふれあう事ができ、その過程で会話をする機会も少なくありません。
極端な話ですが、もし自分がロビンソン・クルーソーのように
周りに誰もおらず、孤独になった時に
「やっぱり話したくなってしまうのか?」
「自分自身の考えに変化はあるのか?」
とふと疑問が湧きました。
今回は瞑想の為5日間無言で過ごした人の経験を基に、感想を交えながら皆様とも共有出来たらと考えます。
人間は話すのをやめたらどうなるか?
インドには「ヴィパッサナー」と呼ばれる瞑想法があり、それを体験するセミナーもあります。
セミナーの参加者は数日間「一言も喋らず」に過ごすそうです。
その人は参加したセミナーを5日間全くの無言で過ごした時に次のようなことを体験しました。
最初の1日は、口を閉じていることを常に自分の身体に言い聞かせなければならない。
最初は戸惑い苦労するが、すぐに克服出来る。
そこでは携帯電話・インターネット・テレビを使えない
主催者が自分の人生すべてについて考えることを勧めてきます。
年齢を問わずほとんどの人は、1日で人生のすべてを思い出せた。
それだけ人間の人生は儚いという事です。
暇過ぎて、時間をつぶすため寝るしかない
とはいっても寝る時間にも限界がある。
一度しっかり休んでしまうと、無理に眠ることは出来ない。
音に敏感になる
人の話す声を聞かない事で、自然界の音や食器がこすれる音、さらには自分の呼吸の音などにも気付くようになる。
ボディランゲージを使って会話をするのが上手になる
アイコンタクト、顔の表情、体の動き。メッセージを伝えるためにそれらを意図して使う。
思い白い事に、そのうちに遠くからでも相手のボディランゲージを「聞く」ことが出来るようになる。
再び自由に話すことができるようになった時、ほとんど話したくないと思う
急いで言わなければならないことは何もないことに気付く。
再び声を出した時、耳は自分の声を完全には認識出来ない
自分の声を再生したオーディオを聞いているような感覚になる。
他人にはこんな風に聞こえるのかと疑問に思い変な気分になる。
感想
私が今回最も興味を惹かれた部分は
意外にも「自分の人生すべてについて考え、その結果自分の人生のすべてを思い出せた」という部分です。
(人が話す事をやめるとどうなるか?と関係ないかも・・・)
私も一人になれる静かな場所で1時間ほど、過去の記憶を少しだけ手繰り寄せてみましたが
自分自身に起きたはずの多くの出来事は思い出せませんでした。
多くの時間を過ごしてきましたが、多くの事を成し遂げたようで意外にそうではなかったのかもしれません。
自分の年齢も人生で言うとおそらく折り返し地点は過ぎています。
残された日々を大事にしていかなければならないと、改めて感じました。
皆さんもたまには、独りで自分の人生を少し振り返ってみてはいかがでしょうか?
もしかしたら、人生に少しの変化をもたらすことがあるかもしれません。